「良い子はみんなご褒美がもらえる」
赤坂ACTシアターにて、観劇して参りました。
これは……
めちゃめちゃ難しい。そして、解釈の余地が人それぞれにあるだろうな、という感じでした。これ1回じゃ全体像というか、ストーリー掴めないんですけど。
こりゃいろんな人のいろんな感想やら、解釈やらが見たいなあと思うと同時に、私が感じたことも記しておきたいなぁと思ったので綴ります。まだ初日の幕が開けたばかりで、私は大阪公演にも行くので2回、3回と見たらまた感想変わると思うのですが、その過程も含めて残しておきたいな、と。だから追記していこうかなっと思います。
ガンガンネタバレしちゃうので、嫌な方は回れ右、した方が良いです。先入観無しで見るの、だいじ。
ただ、こういう好き勝手な感想でも、少しでも興味をもって見に行ってみようかな、なんて人が現れたら嬉しいなぁとも思っています。
では、まずは一言、言わせてくださいね。
橋本良亮、顔がいいーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!
はい、すっきりしました、ありがとうございます。
私的初日で、まさかの最前センター寄りの席というトンデモ席を(橋本担の妹が)引き当ててしまったので、もうとにかく橋本良亮顔がいい、の連続でした。あと堤さんはかっこいいな。
トライアングルの音がどこかから聴こえ、静まり返る客席。暗転と共に、オーケストラのチューニングが聴こえる。徐々に広がっていくオーケストラの音。ここ、わざと下からAに当てにいっているようなヴァイオリンがいたような気がするんですが…気のせいですか…いや弦楽器よく分かんないからああいうチューニングの仕方なのかな。ピッチを低いとこから当てに来ると、ちょっと不穏な感じに聴こえるんだよねぇ。あと、ざわざわ広がっていく音の中、半音階吹いてる管楽器?がいたりして。不協和音ぽくて、不安になる始まり。まぁチューニングってだいたいあんな感じだから、こっちの考えすぎかもしれないのだけど←
そして幕が開くと、舞台の真ん中にはトライアングルを持った橋本良亮…いや、アレクサンドル・イワノフ。堤さんも同じ役名だから、公式の表記に倣って橋本良亮→イワノフ、堤さん→アレクサンドルって呼びますね。
イワノフの指揮で、オーケストラの演奏が始まる。時に激しく、時に柔らかく、指揮を振るイワノフに、思わず見惚れてしまいました。イワノフは「自分はオーケストラを連れている」という妄想に囚われた男で、つまりオーケストラはイワノフの妄想の中の者な訳ですが、観客側にはオーケストラが見えている。この時点で、観客はイワノフに近い感情を抱くのかしら、とか思ったり思わなかったり。
冒頭から、アレクサンドルに『僕のオーケストラ』に対する怒りを長々と語るイワノフ。
「君は何の楽器ができるんだい?」
なんて、さも楽器ができて当たり前のように迫るその感じに、話の通じない怖さみたいな物を感じました。こちらの話が通じない人って、普通に恐怖だよね。そこを堤さんのアレクサンドルの表情がまた、物語っていた。(ような気がする)
でも、そこが橋本イワノフだからなのか、ただ純粋に聞いているだけなんだろうなと思わせる力があって、怖いだけじゃなく、なんて言うのかな……小さい子に話が通じないだけ、みたいな純粋さが見えて、可愛いなあとも思いました。純粋な狂気を孕んだ役をやらせたら、橋本良亮は強いよね、うん。
ここのイワノフの長台詞、すごかったなぁ。きっとたくさん練習したんだろうなぁ。えらいねはしちゃん!いいこいいこ!←
サーシャが教科書を音読するシーンは、ちょっと怖いなって思ったなぁ…
「点には、位置はあるが長さはない」
「直線には、長さはあるが幅はない」
「多角形とは、直線に囲まれた平面である」
「三角形は、直線が最小の多角形である」
(曖昧ですが、こんな感じ)
この数学の法則は、絶対に揺るがない真実であって、ここに自由だとかそういうものは存在しない訳で。決まり切ったこと、考えるまでもなくそうと決まっていること、そういう自由のきかない部分が表現されているのかなぁ、と。そして、「直線に囲まれた平面」という表現に、閉鎖された空間=監獄(医師はあくまで病室だ、と言っているけれど)を感じました。これは後からサーシャがそうと分かるような直接的な表現をしているけれど。
そんな閉鎖された空間の中で、アレクサンドルはイワノフに、これまでの経緯を語る。
ここは本当に難しくて、頭を使った……笑 途中、HIJKとかが出てきた辺りで諦めたけど。あれ、誰か図にしてくれません?誰が何をしてどう動いたか全くもって分からない←
でも、原題の「Every Good Boy Deserves Favour」が音階のアルファベットだっていう所から、人物の説明もAから順にアルファベットにしたのかと思うと面白いなぁと思ったり。
ただ、これ本当ーに訳が分からなくて、結局アレクサンドルがどうしてここに来たのかが全然頭に入ってこなかった(笑) パンフのあらすじ読んでやっと納得したけども。
精神が正常なのに、病院に入れられると声を上げたアレクサンドル。この人はとても正義感のある男なのかなぁと思いました。
政府に歯向かうことが「馬鹿げたこと」だと分かっていながら、決してその政府の言いなりにはならない。おかしいことは、おかしい、とハッキリ言うし、自分の意見を真っ直ぐに持っている。医師の言う通りにすれば自分は自由になれるというのに、そして息子がそれを勧めるというのに、決してそんな目先の自由は欲しがろうとしない。
「それじゃあ、他のパパたちはどうなるんだ…!」
耳に残ったこの台詞。戦っているのは自分だけじゃないんだぞと、息子に諭しているようでした。自分だけが助かろうとする道は選ばない、それは本当の自由ではない、みたいな。
でも、この世界ではマイノリティーは排除されるし、世間一般的に正しいと言われていることに歯向かえば、その言論は悪なんだよなぁ。
と、いうところまで考えて、なんだかちょっとだけ、ほんのちょっとだけだけど、この舞台の核の所に触れられたような気がした。
そして個人的に、精神科医の役割が、中間管理職的で憎めないなぁと思いました。
上からの命令を忠実に守ろうとしつつ、患者のことを考えてくれているような気がして。小手さんの雰囲気と、所々のコミカルな演技とが相まって、すごく人間らしいなぁと。
「あなたは、いいえ、と答えればいい」
アレクサンドルに、この病院から社会に出るためには言う通りにすればいい、と諭すシーン。
そう、まさにそうなんだよ。嘘をついて、誤魔化して、外に出たいならそうすればいい。息子に会いたいのなら、自分の考えなんて曲げて精神科医の言う通り、社会の流れに沿ってしまえばいい。その方がずっと楽だ。人間、流れに逆らうよりも、流されてしまった方がずっと楽なのだ。
ほら、社会人のみんな、そうだろう?←
精神科医、多分あの登場人物たちの中で一番、一般的な「社会の中の人」だと思うんだよなぁ。
そう考えるとやっぱり、アレクサンドルはとてつもなく正義感の強い、折れない真っ直ぐな男。裏を返せば、自分の意見や思想を曲げられない頑固者。こういう人は、本当に生きづらいと思う。私の周りにもたまにいる、『もうちょいうまく立ち回ればいいのになぁ』っていうタイプ。
真正面からぶつかって、大変な思いしたりとか、自分が嫌な思いしたりとか、私は流されやすいテキトー人間なので、そういう人を見ると「そんな体力よくあるよねぇ…」なんて憐れみの目で見てしまいがちなのだけど。いやここまで書いて、私めちゃめちゃ社会の闇に染まってんな???すげぇモブじゃん。そして腐ってんじゃん。まぁでもそんなもんか。
とにかくアレクサンドルは、そういう自分の意志を貫き通すために、戦ってるんだろうね。
それに対してイワノフは子どもに近いのかな、なんて思ったり。自由に想像して、それを表現して、人に伝えて。でも、理解されないその想像は「妄想」と言われて叩かれる。
人って、自分の想像の範疇をあまりにも超えた物を取り出されると、恐怖を覚えると思うんですよね。理解できないという怖さがある。だから「そんなものは存在しない、妄想だ」なんて否定するんでしょう。その気持ちはよく分かる。自分に分からない、理解できないって、怖い。
でもきっと、誰かどこかの何かしらの"偉い人"が「素晴らしい想像力だ!」なんて言おうものなら、一気に天才扱い、なんてこともあったりして。そんな所が、この社会の怖いとこなんじゃないかしら。なーんて。
イワノフはとっても純粋で、社会なんかに流されていなくて、というかそんな社会の流れをまだ知らない幼さがあって。だから、大人は恐れるのかな、と。ほら、純粋な子どもの言葉って、怖いから。痛いとこ突かれるから(笑)
なんか、そんな風に解釈しましたよ、私は。
こうやって書いていると、『自由なふりが得意になった、不自由な社会へ』という公式のメッセージが、ざくざく胸に刺さりますな。
本当の自由は、一体どこにあるんでしょうねぇ。
本当にいろいろ考えさせられる舞台だな。
ラストシーンの解釈が、一番分からなかった。
とりあえず私の勝手な解釈ですが、結局、アレクサンドルもイワノフも、言論の自由と想像の自由をそれぞれ許され、社会へと戻されたのかな、と。
だけど気になったのは、その後、二人が取り残された舞台上で並ぶ場面。周りをヴァイオリンが囲う中、アレクサンドルがイワノフにもたれかかり目を閉じていたこと。観劇中は、それがハンストによる純粋な死を意味するのかなぁと思ってました。だいぶ衰弱している様子だったしね。サーシャの歌声が聴こえてくる辺りでは、なんだか天界から声が降りてくるかのような雰囲気があったしね。
だけど、そんな簡単な話か?と。今さっき社会に出ること許されたとこじゃん?と。
それに、イワノフのオーケストラの指揮台にアレクサンドルが立った所で終わったのも、分からないんだよなぁ…あれは、アレクサンドルも想像の自由を手に入れたということなのかしら。わからん。イワノフはどうしたの。元気だったのにオーケストラの向こうに消えていくの。ねえどこいくのよ。
あまりにも静かな幕引きで、余韻たっぷり、って感じの舞台でした。ああー、モヤッと。だけど後味は、悪くない。こうやって語って自分の中で整理しないと、すっきりできない終わりでした。
と、ここまで書いて柄にもなくすっごく脳みそ使ったので、ただただ橋本良亮イワノフ、略して(略すなよ)はしノフが可愛かったことを書いていこうと思うよ。だって可愛いんだもの、はしノフ。
まずはうっとり顔で指揮をする所。
あまりにも気持ちよさそうに目を瞑って指揮をしているから、見惚れてしまったよ…なのにその後ぷんぷんするんだもんなぁ。ぷんぷんしてるのも可愛いんだもんなぁ。困ったもんだ。オーケストラについて語る長台詞、イワノフのテンションの上がり方と抑揚が良かったよ。
ちょこちょこ挟まるダンスシーン。
リズム感いいーーーーっ!!!さすがA.B.C-Z!!!!!そしてちょっぴりコミカル。こんなに重たい空気の舞台なのに、表情がコミカル。これ、一緒に入った橋本担妹とも話してたんだけど、ディズニー映画でよくある悪い夢見てるようなシーンみたいだねって。
アレクサンドルが食べなかった食事のパンをむしゃ。もぐもぐ。あっ、それ、本物だったんだね……?アレクサンドルに差し出すんだ。あ、拒否された。………もう一口食うんかーーーーい!!!の、流れ。
アレクサンドルが精神科医から受け取った薬(下剤)を手渡され、箱を開けてガサゴソ。お、これいいじゃん、って顔した。…食べたー!!!ボリッコリッて音したー!!!噛み砕いてるー!!!可愛いーー!!!え?なに?もう一個食べるの?え?また?待って、待って待ってまだ食べるの?コリコリ言うてるよ?それ下剤だよ?大丈夫???ぽんぽん痛くならない???大丈夫????????
(あれ、中身ラムネかなぁってふと現実的なことを考えてしまった)
アレクサンドルの持ってる本の中身が気になるはしノフ。
覗き込み方可愛すぎるだろ。以上。
大佐に敬礼する後ろの人達を見て「あ、敬礼するんだ」って気付いて慌てて敬礼するはしノフ。
お顔が可愛い。以上。
………一気に頭悪いブログになってしまった。頑張って頭使ってたのに。
まぁ慣れないことはするもんじゃないですね!
ものっすごい至近距離ではしちゃんの綺麗なお顔を眺めることができて幸せでした。スポットライト浴びた時の斜め下からの顔がすごく綺麗だったよ。
あと痩せすぎないでくれてありがとう。ぷくっとほっぺは安心します。
なんか、はしちゃんのお芝居が年々、見る度にアップデートされているような気がして、現場を重ねる毎に成長しているのかなぁ、なんて偉そうなことを考えました。はしちゃん絶対前より滑舌良くなったよね。すごい。
まだ2日目。
ここからどうブラッシュアップされて、どう舞台が成長していくのか、とても楽しみです。
そして、これを観劇した人のいろんな解釈が見てみたいので、面白いの見つけた方はご一報ください。これはあくまで、とりあえず一回目を見ただけの私の個人的な勝手な感想なぐり書きですからね。はしちゃんの顔近すぎて記憶曖昧だしね。(一番の問題点)
とりあえず、私の次の良い子は大阪!
楽しみにしています。
キャスト、スタッフの皆さんがこの舞台を無事に終えられますように。祈っております。
……………トリッパー遊園地の感想が未だ下書きに放置されたままなので、近々書き上げます。必ずや。