きまぐれにっき

きまぐれに生きていきたいヲタクのブログ

人と人とが対話をするとき

 

 

Osloを観劇してきました。

 

私は東京公演で観劇したのですが、無事に全ての公演が終わったこのタイミングで感想を残しておこうと思います。

(それにしては遅い)(単にタイミング逃しただけとも言う)

 

 

f:id:bluesnow-uma:20210306201008j:image

f:id:bluesnow-uma:20210306201013j:image

1年ぶりの新国立劇場

 

 

今回のお話は、パレスチナイスラエルの間に結ばれた「オスロ合意」が題材。

もう先入観で「難しそう…」と思っていたのですが、人と人との繋がりというか、人間ドラマだなと感じられて、割とすんなり話が入ってきました。

いろんな方のブログや番組とかで予備知識詰め込んでいったのもあるけど。笑

 

それでも、高校時代必死で覚えた単語や聞いたことのある出来事がぽんぽん登場してきて、ああ高校時代の私よ…もうちょっと勉強しておけよ…と後悔。エンタメを楽しむためにはある程度の教養が必要だということを改めて思い知ったのでした。

 

登場人物の名前が、人によっていろんな呼び名で呼ばれるのもちょっと混乱ポイントだったな。

パンフレットを事前に見ていたものの、愛称とか使われると難しい…

坂本さん演じるテリエ・ルー・ラーシェンだって、モナはテリエって呼ぶし周りの大人はラーシェンって呼ぶし途中の外国人ラジェとか呼んでなかったか…?もしかしたら呼び方の癖というか聞こえ方かもしれんけど。こんがらがってしまったー。

人の名前難しい。

 

それでも、2回目以降はそれぞれの役と立ち位置と関係性がはっきり分かった状態で観れたので、すんなり世界に入り込むことができました。理解度が全然違ったな。分かるとめちゃくちゃ面白かった〜〜〜!!!

 

 

物語については、もうこれは史実に基づいたものなので今更素人の私がどうこう言えるあれでは無いと思うので。笑

少しだけ。

 

国交問題(領土問題)ってのは、やたらニュースで耳にすることはあるけど、いい大人が物の取り合いしてるみたいであんまりいい気持ちで見られるものでは無かったんです。

でも、今回この話し合いの場を観て、それぞれの立場の気持ちを考えた時に、どちらも間違っていないというか。

素直に、あぁ、そりゃそうだよな。人の気持ちや、そもそも生活が乗っかってるんだもんな。と、思いました。

「この土地は元々こっちのもんだ、返せ!」と言われて「はいそうですか」とほいほい渡せるような小さな問題では無いんだと改めて思ったというか。その土地に住んでいる人たちもいるわけだし。

何を当たり前のことを、と思うかもしれないんですが、私はこの話し合いを目の当たりにして、職業柄子ども同士のけんかを見ているような気分になりました。それは決して、幼稚だとかそういうことではなく、です。

子どもがおもちゃを巡って喧嘩するとき、どちらも自分の主張が正しいと信じています。

「ぼくが先に使ってたんだ」

「いや、ぼくが先に持ってたからぼくのだ」

なんていう感じで。これは仕事で毎日のように目にする光景なんですけど。笑

正しい主張と正しい主張がぶつかり合った時、私はどうしていいか分からなくなります。だって、どうしようもない。私、どっちが先に使ってたかなんて見てないし。笑

じゃあどうするかって、話し合うしか無いんですけど、これは子ども同士の喧嘩で、ただのおもちゃだから何とか解決できる。

交代で使うとか、一緒に使うとか。

でも土地じゃあね。そんなことできませんもんね。個人の感情だけで動かせるようなことじゃないし。

一緒に使うにしても、決まり事は必要なわけで。

 

なんか、うまく言語化できなくて少しだけと言いつつ長々と書いてしまったんですけど…

つまりは、この話し合いはそんな簡単に進むようなものじゃなかったということ、このOslo合意で成し遂げられたことはとんでもなくすごいことなんだということが、すとんと私の中で腑に落ちたのです。

 

ここが腑に落ちたからこそ、1幕最後のサヴィールの台詞がぐっとくるし、最後のラーシェンの独白に涙した。

希望の光が差し込む中「よかった…」という安心したような呟き。本当はまだ自分が正しかったのか迷っていて、どこかに救いを求めていたんじゃなかろうか。自分が間違っていないことを、誰かに証明して欲しそうに見えた。

坂本さんの演技はすごかったな…最後の最後で一気にもう一段階お芝居の中に引き込まれてしまった。

 

平和の象徴である鳩(だと思うんだけど)の飛び立つ音に、平和への第一歩が踏み出せたことが揶揄されていて、ラストシーンは深いな、と思いました。なんかこうして文字にしてみると薄っぺらい気がするけど。

 

 

 

と、真面目なことを長々と綴ってみたんですけどここまできて何が1番言いたいかって河合郁人の2役の演じ分けがすごい

 

ヤン・エゲランと、ロン・プンダク。

この2人、あまりにも違いすぎて本当に1人が演じ分けてんの…?って逆に混乱した。それくらい、別人だった。

 

ヤン・エゲランは、エリート外交官なので見た目もきりりとかっこよくて、スーツの着こなしもスマートで、椅子の座り方、立ち姿、ちょっとした仕草ひとつとってもなんだかプライドの高さが垣間見えた。きっと彼はエリート街道まっしぐらでここまでやってきたんだろうな、というか。それでいて、長いものに巻かれてきてそうな感じがカワイイ。お役所の人間臭する。偉い人に気に入られてそう。

他の俳優さんたちと並ぶと少し幼く見えるところも、若くして役職についたエリート感が際立っていてよかった。

ていうか絶対大学時代モナのこと好きだったじゃん。ていうか今でもちょっと好きでしょ。そんな細かな表現力もすごいと思ってしまった。

 

そしてロン・プンダクは、もさっと髪に猫背、声も高めで可愛いというか、場を和ませる癒し系な立ち位置。

頭は良いんだろうけど、きっと研究一本でやってるから周りからは変人扱い受けてるんだろうな、とか、でも本人そういうの全く気にしてなさそうだな、とか。それでも、2幕でヤイルを気遣い、外に連れ出そうと優しく声を掛ける姿に、あぁ本当にこの人はいい人なんだなぁとあったかい気持ちになりました。ていうかこの台詞の声優しすぎてきゅんとした。

普段の河合郁人に近いって本人も言ってたけど、普段の「バラエティで見る河合郁人」に近いって感じだったよね。私の中ではヤンも十分河合郁人です。

 

ヤンの時には足を大きめに開いて手を腰に当てて余裕たっぷり、指を組んで前屈みに座ったり、背筋が常にしゃんと伸びてて貫禄があるんだけど、ロンになったら途端に可愛い。足をちょーんとそろえて、同じ指を組む仕草なのになんでこんな違うの!?って混乱した。それにずっと猫背なのよね。背中の丸まり具合がなよなよした感じを醸し出していて、ヤイルとセットで並ぶとほんと可愛い。キュートなふたり。

 

あとは、発声にも驚いたな。

ヤンとロンであまりにも違いすぎて。

もちろん、どっちも郁人の声で、無理して作ってる感じは全くないんだけど、こんなに違う?ってくらい違う。

元々の声が低いから、ヤンのびしっとした低音は私の大好きな郁人の声なんだけど、ロンが「どーもー!」って言う時はバラエティでよく聞く郁人の声だなって思う。

そういえば、バラエティの時は意識して声高くしてるんだっけ…?うわ…すご…かっけぇすぎてきゅんとした……(チョロ)

 

 

でも、特筆すべきはやっぱり早替えだよね…

ヤンが舞台上からいなくなって、気付いたらもうロンがそこにいる。そんな感じ。

1番早いとこでどうだろう、20〜30秒くらいなのかな…ヤンが暗転して上手に歩きながらジャケットを脱ぐんですけど、それすら演出のように自然に脱ぐので何の違和感もないというか。

暗転してもずっと目で追っていたはずなのに、気付いたらロンになって出てきてるんですよ。

最初、あまりにもシルエットが違いすぎてすぐに分からなかった。

 

これ、早替えに慣れてるジャニーズだからこその技術だと思うんですよ。

もちろん俳優さんだって早替えするだろうけど、経験値が違うと思う。そしてジャニーズの中でもA.B.C-Zの早替えの経験値はめちゃくちゃ高いと思っている。

アメリカの公演でも早替えが見事だったって言われてたけど、その見事な早替え技術を日本で求められた上でのキャスティングが郁人だったのかと思うとほんっと誇らしいな……何回でも言うけど河合郁人かっけぇな………

 

 

この役を郁人が演じてくれなかったら、きっと私はこのオスロ合意について知ることも、知ろうとすることも無かったと思う。

だから、この素晴らしい作品に出会わせてくれてありがとう、と思います。

 

難しい、という先入観を取っ払ってみたら、とてもシンプルな人間ドラマでした。

 

最後に、心に残った1幕最後のウリ・サヴィールの台詞。

「人々は過去を生きすぎている。失ったものを嘆くばかりだ。今を生きる方法を考えていこう」

どうしてこの台詞だけがすこんと胸に落ちたのか未だに分かりません。謎です。

でも、なんだかこの言葉が観劇後も頭から離れなくて、すぐにメモに残したのでした。

 

 

観劇した日の4回目のカーテンコール、客席を見渡す郁人の顔がとても満ち足りた顔をしていて。

好きだなぁ、と、誇らしいなぁ、と、思ったのでした。

 

この作品に出会えてよかったです。ありがとう。